墓地調査報告書を読む①上頭文字編
以前、系図調査をしているという話を祖父にしたところ、「旧墓地調査報告書」なる古びた冊子を出してきてくれました。
どうやら、平成4年に地元の郷土史家の方に依頼し、本家の墓石の調査をしてもらったそうです。
私が生まれる前にそんなに面白そうなことがあったとは…。
今回はその報告書に記載された戒名で気になった部分についてです。報告書を読んでいて、次のような戒名が気になりました。
② 新早世妙安善男(延享4(1747)年9月6日 善之助)
③ 新皈真晩光□□霊位(宝暦4(1754)年2月7日 八之允 行年47)
④ 新皈西一蓮成陽善男(明和8(1771)年正月19日 覚左ェ門 行年56)
⑤ □皈西秋月妙法大尼(寛政2(1790)年7月28日)
道号の前に、なにやら見慣れぬ文字があり調べてみました。なお、皈は帰の異体字です。
原勝文『戒名よもやま話』(国書刊行会、1990)によると、これらは上頭文字というようです。
上頭文字とは、「新しき死者」を意味し、一般的には「新帰元」「新帰真」「新物故」「新帰去」「新還本」「新順法」、子供の場合は「新早世」と書かれるとのこと。
④と⑤は載っていませんでした。
「新皈西」は墓碑の読み間違いの可能性もありますが、形式的に上頭文字なのだと思います。
②は位号が「善男」だったので、てっきり成人男性かと思ったのですが、「新早世」は子どもに書かれるとのことで、善男というのが子どもに用いられることもあるのかどうかもっと勉強しないとと思いました。
ところで、この上頭文字ですが、『戒名よもやま話』によると、「位牌に記す。初七日がすぎると上頭文字は削られる。」とありましたが、なぜか削られていませんでした。削る余裕がなかったのか…?
また、③と④は行年と俗名らしきものが彫られていたため、年齢からして当主だとも思ったのですが、③の八之允と④の覚左ェ門は年の差8歳で兄弟の可能性もあります。
八之允が没し、弟の覚左ェ門が跡を継いだとも考えましたが、もうひとつ疑問がでてきました。
それは、次の人物たちの存在です。
権大僧都秀栄金剛(宝暦8(1758)年9月14日)
秀長法印金剛位(宝暦10(1760)年10月20日 行年76)
権大僧都秀長法印(寛政9(1797)年7月12日 行年56)
全て修験者(山伏)の墓碑銘です。当家は修験道の家でした。つまり、当主は山伏なのでは…?
なんだか混乱してきました。
次回に続きます。