先祖をたずねて6年目

当家の家系図調査の記録を綴っていきます。当家は明治維新まで修験道の家系でしたが、家系図が残されておらず、詳細が不明なため、系図調査をして家系図を作成しようと思い立ちブログをはじめました。調査手法や調査結果などを発信していこうと思います。

法印神楽を始めた先祖のこと【前編】

久しぶりの更新になります。

 

郷土史を読んでいて、当家の先祖が「法印神楽」を演じた旨の記載がありました。

その本によると、宝暦年間から演じてきたと書かれてあり、早速調べてみることに。

今回は前編・後編の2本立てです。

法印神楽とは

 

法印神楽の「法印」とは、修験者の別名のことで、今でも私の地元では修験者のことを「法印さん」もしくは「ホウエンさん」などと呼んでいます。

 

法印神楽は、宮城県石巻(いしのまき)、牡鹿(おしか)、桃生(ものう)、登米(とめ)、本吉(もとよし)、気仙沼(けせんぬま)などの三陸沿岸地域(北上川流域の地域を含む)に伝わる郷土芸能で、修験者(山伏)が伝えた神楽のことです。

 

著名な法印神楽としては、石巻市雄勝(おがつ)町の「雄勝法印神楽」が国重要無形民俗文化財に指定されています。

 

下の地図の〇で囲まれたあたりが法印神楽の伝わる地域です(おおまかな線引きなので多少のずれはご了承ください)。

画像1

 

演目は、「道祖(どうそ)」、「日本武(やまとたける)」など記紀神話古事記日本書紀)を題材に構成されており、二間四方の舞台の天井に大乗という天蓋(てんがい)の一種を吊るし、奥に幕を張った舞台で演じます。お囃子は多くの場合太鼓と笛のみで演奏されます。

 

神楽は、大別して巫女神楽出雲流神楽伊勢流神楽獅子神楽山伏神楽番神楽、大神神楽)に分類されるそうで、法印神楽は出雲流神楽に分類できると言われます。出雲流神楽は、採物(榊・幣・弓・剣など手に持つ道具)の舞と演劇的なものを組み合わせた能のような神楽です。

 

宗教性の濃い修験道の思想が反映された祈祷神楽であり、神事神楽でもあったため、明治維新以前は法印以外は舞うことができなかったそうです。

法印神楽は江戸時代、各村にある修験院で演じられてきましたが、現在に伝わるものの中では、石巻市桃生町の樫崎法印神楽が所作に修験の名残をよく残していると言われています。

法印神楽の起源と修験院

 

法印神楽の起源については、不明な点が多く、史料もあまり残っていません。

 

私の地元である宮城県石巻市では、元和2(1616)年に中津山村の修験、本山派良寿院の滝本重慶という法印が、皿貝村(石巻市河北町)の修験、本山派成就院の久峯重光とともに聖護院(本山派修験の本山)門主宮様御入峯の折に演じた能がはじまりと言われています。

また、石巻市桃生町では、樫崎村の羽黒派修験院龍性院(現・鹿島神社)に宝暦年間(1751~1763)から演じられてきたと伝えられています。

 

てっきり法印神楽は羽黒派修験独自のものなのかと思っていましたが、どうやら本山派修験院でも演じられていたようです(本山派の方が100年以上早い)。

 

さて、法印神楽が伝わる北上川流域に、修験院が江戸時代にどれくらいあったかというと、「安永風土記御用書出」や「修験院書出」によると、安永年間(1772~1780)の北上川流域の村々の修験院は、44ヵ院にのぼります。

 

また、延享3(1746)年の「羽黒山御末本流分限御改帳」からは、各村々の修験院が神楽座を組んでいたことがわかります。

主な神楽座として、羽黒派修験の樫崎村龍性院(石巻市桃生町)、永井村大善院(石巻市桃生町)をはじめとする「桃生十箇院」、本山派修験の中津山村良寿院(石巻市桃生町)、皿貝村成就院石巻市河北町)などの「大和三輪流」が挙げられます。

 

なお、国重要無形民俗文化財に指定されている雄勝法印神楽は「桃生十箇院」の一つ、市明院(現・葉山神社)が伝えたもので、市明院は延徳2(1490)年からの歴史をもつ旧家です。市明院には、今現在、法印神楽の最も古い文書である元文4(1739)年の「御神楽之大支」が所蔵されています。

 

以上のことから、遅くとも江戸時代中期には各地で演じられていたと考えられます。

ここで、雄勝法印神楽を伝える葉山神社(市明院)のホームページに掲載されている法印神楽の記事を一部引用します。

法印神楽とは、元来修験者の行なうもので桃生郡内の「羽黒派十法印」と呼ばれる家に一子相伝の口伝にのみ伝えられて来たと記されている。当神社所蔵の「羽黒派未派修験帳」によると旧桃生郡内の十法印の地区に互いに山河を越え往来し、その結びつきは明治中期まで固かったいう。

このように往古の神楽舞は、十法印がお互いに協力しあって舞ってきたが、神楽を奉納する神社は、余ほど富める氏子を有しているか、或いは社殿の新築時などの特殊事情を背景にしており、現在のように神社の例祭日に毎年奉納するというほど地区の経済は裕福ではなかった。

したがって神楽を奉納するとなると態夫(わざふ)といって人夫を使って峠を越え、川を渡り苦労を重ね、桃生十法印を集めたのである。

 

(石峰山石神社・葉山神社ホームページより)

http://isono-hayama.blogspot.com/p/blog-page_10.html

 

法印神楽が現代に伝えられるまで守り抜いてきた、先人たちの苦労が偲ばれます。

法印神楽はYouTubeにもアップされていますので、興味のある方はご覧ください。

 

法印神楽の概要を述べてきましたが、前編はこれで以上となります。

後編で、私が先祖調査をしてきた中で、法印神楽を始めたと思しき先祖とそのきっかけについて考えたことを書きたいと思います。

次回に続きます。