先祖をたずねて

当家の家系図調査の記録を綴っていきます。当家は明治維新まで修験道の家系でしたが、家系図が残されておらず、詳細が不明なため、系図調査をして家系図を作成しようと思い立ちブログをはじめました。調査手法や調査結果などを発信していこうと思います。

来歴不明の役行者像

本家には役行者像が伝来しています。

来歴等詳しいことは不明ですが、室町末期頃に作られ、松の寄木ー造りです。

口伝では、山伏として諸国を修行して巡っていた先祖が背負っていたものだと伝わっています。

 

江戸時代の初め頃、幕藩体制の成立により山伏はだんだんと各地に定住し、修験院を開いていったと言われています。(小野寺正人「陸前の修験道」より)

郷土史を読んでいても、中には南北朝時代室町時代中頃に開山した来歴を持つ修験院がありますが、一般的には江戸時代初期が多いという印象でした。

 

定住して修験院開山の後は記録が残っていることが多いですが、それ以前になるとなかなか手掛かりがつかめなくなるため、その先をどう辿っていくか、もしくはその系統は一旦区切りをつけ、別系統の先祖探しに移行するかという選択になるのかなと思います。

 

話を戻しますが、この役行者像は、先祖の1人が江戸時代末期に京都の聖護院門跡に修行にでていたため、その際に入手したという可能性もあるのではないかと考えました。

この聖護院門跡の話は前回記事にしたので、興味のある方はそちらも併せてお読みください。

 

tanukikanda.hatenablog.jp

 

しかし、その際に入手したのであれば、聖護院に修行に行き、そこで入手したという口伝くらい伝わっていてもおかしくなさそうなのに…という疑問がわきます。

 

そのため、やはり修験院を開山し、定着する頃に入手したものなのだろうということにします(ここは想像するしかない…)。

 

それにしても、来歴不明の遺物は扱いが難しいなあとしみじみ感じました。

古文書や口伝等の「いわれ」があればまだしも、そうしたものが無い場合、その遺物がいつ持ち込まれたかに注意しなければ認識を見誤ると思いました。

とはいえ、来歴不明の場合でも、謎が深まって想像力を掻き立てられ、遠いご先祖様に思いを馳せることができるのには違いないので、それはそれで良いかなと思ったり。

 

今回はここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございました。